堤中納言物語 - 06. かひあはせ

 九月の有明の月に誘はれて、藏人の少將、指貫つきしく引き上げて、たゞ一人小舍人童ばかり具して、やがて朝霧も立ち隱しつべく、隙なげなるに、
 「をかしからむ所の空きたらむもがな。」
と言ひて歩み行くに、木立をかしき家に、琴(きん)の聲仄かに聞ゆるに、いみじう嬉しくなりて、
 「めぐる門の側(わき)など、崩れやある。」
と見けれど、いみじく築地など全(また)きに、なか侘しく、「いかなる人のかく彈き居たるならむ。」と、理(わり)なくゆかしけれど、すべきかたも覺えで、例の聲出(いだ)させて隨身にうたはせ給ふ。
 行くかたも忘るゝばかり朝ぼらけひきとゞむめる琴の聲かな
とうたはせて、「まことに暫し内より人や。」と、心時めきし給へど、さもあらねば、口惜しくて歩み過ぎたれば、いと好ましげなる童四五人許り走り違ひ、小舍人童・男(をのこ)など、をかしげなる小箱やうの物を捧げ、をかしき文、袖の上にうち置きて出で入る家あり。
 「何わざするならむ。」と床しくて、人目見はかりて、やをらはひりて、いみじく繁き薄の中に立てるに、八九ばかりになる女子のいとをかしげなる、薄色の袙・紅梅などみだれ著たる、小き貝を瑠璃の壺に入れて、あなたより走る樣の慌しげなるを、「をかし。」と見給ふに、直衣の袖を見て、
 「こゝに人こそあれ。」
と、何心もなく言ふに、侘しくなりて、
 「あなかま。聞ゆべき事ありて、いと忍びて參り來たる人ぞ。そと寄り給へ。」
と言へば、
 「明日(あす)の事思ひ侍るに、今より暇なくて、そゝき侍(はんべ)るぞ。」
と囀りかけて、往ぬべく見ゆめり。をかしければ、
 「何事のさ忙がしくは思さるゝぞ。麿をだに思さむとあらば、いみじうをかしき事も加へてむかし。」
と言へば、名殘なく立ち止りて、
 「この姫君と上との御方の姫君と、貝合せせさせ給はむとて、月頃いみじく集めさせ給ふに、あなたの御方は大輔の君、侍從の君と貝合せせさせ給はむとて、いみじく覓めさせ給ふなり。まろが御前は、唯若君一所にて、いみじく理なく覺ゆれば、只今も姉君の御許に人遣らむとて、罷りなむ。」
と言へば、
 「その姫君たちのうちとけ給ひたらむ、格子の間(はざま)などにて見せたまへ。」
といへば、
 「人に語り給はば、母もこそ宣へ。」
とおづれば、
 「物狂ほし。まろは更に物言はぬ人ぞよ。唯人に勝たせ奉らむ、勝たせ奉らじは、心ぞよ。いかなるにか。ひと物扶持。」
と宣へば、萬もおぼえで、
 「さらば歸り給ふなよ。隱れ作りてすゑ奉らむ。人の起きぬさきに。いざ給へ。」
とて、西の妻戸に屏風押し疊み寄せたる所に居(す)ゑ置くを、ひろ漸うなり行くを、
 「をさなき子を頼みて、見つけられたらば、よしなかるべきわざぞかし。」
など、思ひ、間より覗けば、十四五ばかりの子ども見えて、いと若くきびはなるかぎり十二三ばかり、ありつる童のやうなる子どもなどして、殊に小箱に入れ、物の蓋に入れなどして、持ち違(ちが)ひ騷ぐなかに、母屋の簾に添へたる几帳のつま打ち上げて、さし出でたる人、僅に十三ばかりにやと見えて、額髪のかゝりたる程より始めて、この世のものとも見えず美しきに、萩重(はぎがさね)の織物の袿、紫菀(しをん)<艸冠/宛:えん::大漢和31135>色など押し重ねたる、頬杖(つらづゑ)をつきて、いと物悲しげなる。「何事ならむ。」と、心苦しく見れば、十ばかりなる男に、朽葉の狩衣・二藍の指貫、しどけなく著たる、同じやうなる童に、硯の箱よりは見劣りなる紫檀の箱のいとをかしげなるに、えならぬ貝どもを入れて持て寄る。見するまゝに、
 「思ひ寄らぬ隈なくこそ。承香(そきやう)殿の御方などに參り聞えさせつれば、『これをぞ覓め得て侍りつれ。』と侍從の君の語り侍りつるは。大輔の君は、藤壺の御方より、いみじく多く賜はりにけり。すべて殘る隈なくいみじげなるを、『いかにせさせ給はむずらむ。』と、道のまゝも思ひまうで來つる。」
とて、顔もつと赤くなりて言ひ居たるに、いとゞ姫君も心細くなりて、
 「なかなる事を言ひ始めてけるかな。いと斯くは思はざりしを。ことしくこそ覓め給ひぬれ。」
と宣ふに、
 「などか覓め給ふまじき。上は、内大臣殿のうへの御許までぞ、請ひ奉り給ふとこそは言ひしか。これにつけても、母のおはせましかば、あはれ、かくは。」
とて、涙も墜しつべき氣色ども、をかしと見る程に、このありつる童、
 「東の御方渡らせ給ふ。それ隱させ給へ。」
と言へば、塗り籠めたるところに、皆取り置きつれば、つれなくて居たるに、初めの君よりは、少しおとなびてやと見ゆる人、山吹・紅梅・薄朽葉、あはひよからず著くだみて、髪いと美しげにて、長(たけ)に少し足らぬなるべし。こよなく後れたりと見ゆ。
 「若君の持ておはしつらむは、など見えぬ。『かねて覓めなどはすまじ。』と、たゆめたまふにすかされ奉りて、萬はつゆこそ覓め侍らずなりにけれど、いと悔しく、少しさりぬべからむものは、分け取らせ給へ。」
など言ふさま、いみじうしたり顔なるに、にくくなりて、「いかで此方(こなた)を勝たせてしがな。」と、そゞろに思ひなりぬ。
 この君、
 「こゝにも外(ほか)までは覓め侍らぬものを。我が君は何をかは。」
と答(いら)へて、居たるさま、うつくしう、うち見まはして渡りぬ。このありつるやうなる童、三四人ばかりつれて、
 「我が母の常に讀みたまひし觀音經、わが御前(おまへ)負けさせ奉り給ふな。」
と、唯この居たる戸のもとにしも向きて、念じあへる顔をかしけれど、「ありつる童や言ひ出でむ。」と思ひ居たるに、立ち走りてあなたに往ぬ。いとほそき聲にて、
 かひなしとなに歎くらむしら浪も君がかたには心寄せてむ
といひたるを、さすがに耳疾く聞きつけて、
 「今かたへに聞き給ひつや。」
 「これは、誰がいふにぞ。」
 「觀音の出で給ひたるなり。」
 「嬉しのわざや。姫君の御前に聞えむ。」
と言ひて、然(さ)言ひがてら、恐ろしくやありけむ、連れて走り入りぬ。
 「ようなき事を言ひて、このわたりをや見顯はさむ。」
と、胸つぶれてさすがに思ひ居たれど、唯いと慌しく、
 「かう念じつれば、佛の宣ひつる。」
と語れば、「いと嬉し。」と思ひたる聲にて、
 「實かはとよ。恐ろしきまでこそ覺ゆれ。」
とて、頬杖つきやみて打ち赤みたるまみ、いみじく美しげなり。
 「いかにぞ、この組入(くみいれ)の上よりふと物の落ちたらば、實の佛の御(おん)功徳とこそは思はめ。」
など言ひあへるは、をかし。疾く歸りて、
 「いかでこれを勝たせばや。」
と思へど、晝は出づべき方もなければ、すゞろに能く見暮して、夕霧に立ち隱れて紛れ出でてぞ、えならぬ洲濱の三まがりなるを、空竅(うつぼ)に作りて、いみじき小箱をすゑて、いろの貝をいみじく多く入れて、上には白銀・こがねの蛤、虚貝(うつせがひ)などを隙なく蒔かせて、手はいと小さくて、
 しら浪に心を寄せて立ちよらばかひなきならぬ心寄せなむ
とて、ひき結びつけて、例の隨身に持たせて、まだ曉に、門のわたりを佇めば、昨日の子しも走る。うれしくて、
 「かうとばかり聞えねよ。」
とて、懷よりをかしき小箱を取らせて、
 「誰がともなくてさし置かせて來給へよ。さて今日のあり樣を見せ給へよ。さらば又々も。」
と言へば、いみじく喜びて、
 「唯ありし戸口、そこはまして今日は人もやあらじ。」
とて入りぬ。洲濱、南の高欄に置かせてはひりぬ。やをら見通したまへば、唯同じ程なる若き人ども、二十人ばかりに裝束(さうぞ)きて、格子あげそゝくめり。この洲濱を見つけて、
 「あやしく。誰がしたるぞ、。」
といへば、
 「さるべき人こそなけれ。おもひ得つ。この昨日の佛のし給へるなめり。あはれにおはしけるかな。」
と、喜び騷ぐさまの、いと物狂ほしければ、いとをかしくて見て歸り給へりとや。