堤中納言物語 - 04. ほどくの懸想

 祭のころは、なべて今めかしう見ゆるにやあらむ、あやしき小家の半蔀も、葵などかざして心地よげなり。童(わらはべ)の、袙・袴清げに著て、さまの物忌ども附け、化粧(けさう)じて、「我も劣らじ。」と挑みたる氣色どもにて、行き違ふはをかしく見ゆるを、況してその際(きは)の小舍人・隨身などは、殊に思ひ咎むるも道理(ことわり)なり。とりに思ひわけつゝ物言ひ戲るゝも、「何ばかりはかしき事ならじかし。」と、數多見ゆる中に、何處(いづく)のにかあらむ、薄色著たる、髪はきはかにある、頭づき・容態などもいとをかしげなるを、頭の中將の御(おん)小舍人童、『思ふさまなり。』と見て、いみじくなりたる梅の枝に、葵をかざして取らすとて、
 梅が香に深くぞたのむおしなべてかざす葵の根も見てしがな
と云へば、
 しめの中の葵にかゝるゆふかづらくれどね長きものと知らなむ
と押放いていらふもざれたり。
 「あな、聞きにくや。」
とて、笏(さく)して走り打ちたれば、
 「そよ、その『なげきの森』のもどかしければぞかし。」
など、ほどにつけては、互(かたみ)に「痛し。」など思ふべかめり。その後、常に行き逢ひつゝも語らふ。
 如何になりにけむ、亡せ給ひにし式部卿の宮の姫君の中になむ候ひける。宮など疾く薨(かく)れ給ひにしかば、心細く思ひ歎きつゝ、下(しも)わたりに人少なにて過し給ふ。上は、宮の失せ給ひける折、樣變へ給ひにけり。姫君の御(おん)容貌、例の事と言ひながら、なべてならずねびまさり給へば、「如何(いかゞ)にせまし。内裏などに思し定めたりしを、今はかひなく。」など思し歎くべし。この童來つゝ見る毎に、頼もしげなく、宮の内も寂しく凄げなる氣色を見て、互に、
 「まろが君を、この宮に通はし奉らばや。まだ定めたる方もなくておはしますに、いかによからむ。程遙かになれば、思ふ儘にも參らねば、『疎(おろか)なる。』とも思すらむ。又『如何に。』と後めたき心地も添へて、さま安げなきを。」
といへば、
 「更に今はさやうの事も思し宣はせず、とこそ聞け。」
とはいふ。
 「御(おん)容貌めでたくおはしますらむや。いみじき御子たちなりとも、飽かぬ所おはしまさむは、いと口惜しからむ。」
といへば、
 「あな、あさまし。いかでか見奉らむ。人々宣ふは、『萬むつかしきも、御前(ごぜん)にだにまゐれば、慰みぬべし。』とこそ宣へ。」
と語らひて、明けぬれば往ぬ。
 かくといふほどに年も返りにけり。君の御方に若くて候ふ男、好ましきにやあらむ、定めたる所もなくて、この童にいふ、
 「その通ふらむ所は何處(いづく)ぞ。さりぬべからむや。」
といへば、
 「八條の宮になむ。知りたる者候ふめれども、殊に若人數多候ふまじ。唯、『中將・侍從の君などいふなむ、容貌も好げなり。』と聞き侍る。」
といふ。
 「さらば、そのしるべして傳へさせてよ。」
とて、文とらすれば、
 「儚なの御(おん)懸想かな。」
と言ひて、持て往きて取らすれば、
 「あやしの事や。」
と言ひて、もて上りて、
 「しかの人。」
とて見す。手も清げなり。柳につけて、
 「したにのみ思ひ亂るゝ青柳のかたよる風はほのめかさずや
 知らずはいかに。」
とある。
 「御返り事なからむは、いとふるめかしからむか。今やうは、なかなか初めのをぞし給ふなる。」
などぞ笑ひてもどかす。少し今めかしき人にや、
 一筋に思ひもよらぬ青柳は風につけつゝさぞ亂るらむ
 今やうの手の、かどあるに書き亂りたれば、「をかし。」と思ふにや、守りて居たるを、君見給ひて、後より俄に奪(ば)ひ取り給ひつる。
 「誰がぞ。」
と摘み捻り、問ひ給へり。
 「しかの人の許になむ。等閑にや侍る。」
と聞ゆ。「我もいかで、然るべからむ便りもがな。」と思すあたりなれば、目とまりて見給ふ。
 「同じくは、懇に言ひ趣けよ。物の便りにもせむ。」
など宣ふ。童を召して、有樣を委しく問はせ給ふ。ありの儘に、心細げなる有樣を語らひ聞ゆれば、「あはれ故宮のおはせましかば。」さるべき折はまうでつゝ見しにも、萬思ひ合せられ給ひて、
 「尋常(よのつね)に。」
など獨言(ひとりご)たれ給ふ。我が御うへも儚なく思ひ續けられ給ふ。いとゞ世もあぢきなく覺え給へど、又「如何なる心の亂れにかあらむ。」とのみ、常に催し給ひつゝ、歌など詠みて問はせ給ふべし。「いかで言ひつきし。」など思しけるとかや。