堤中納言物語 - 08. はなだの女御

 其のころ、事と數多見ゆる人眞似のやうに、かたはら痛けれど、これは聞きし事なればなむ。
 賤しからぬすきものの、いたらぬ所なく、人に許されたる、「やんごとなき所にて、物言ひ、懸想せし人は、この頃里に罷り出でてあなれば、實かと往きて氣色見む。」と思ひて、いみじく忍びて、唯小舍人童一人して來にけり。近き透垣の前栽に隱れて見れば、夕暮のいみじくあはれげなるに、簾捲き上げて、「只今は見る人もあらじ。」と思ひ顔に打解けて、皆さまざまにゐて、萬の物語しつゝ、人のうへいふなどもあり。はやりかにうちさゝめきたるも、又恥しげにのどかなるも、數多たはぶれ亂れたるも、今めかしうをかしきほどかな。
 「かの前栽どもを見給へ。池の蓮(はちす)の露は玉とぞ見ゆる。」
と言へば、前に濃き單衣・紫菀色の袿・薄色の裳ひきかけたるは、或人の局にて見し人なめり。童の大きなる・小さきなど縁に居たる、皆見し心地す。
 「御方こそ、この花はいかゞ御覽ずる。」
と言へば、
 「いざ、人々に譬へ聞えむ。」
とて、命婦の君、
 「かの蓮の花は、まろが女院のわたりにこそ似奉りたれ。」
とのたまへば、大君(おほぎみ)、
 「下草の龍膽(りんだう)はさすがなめり。一品の宮と聞えむ。」
中の君、
 「玉簪花(ぎばうし)は大王(だいわう)の宮にもなどか。」
三の君、
 「紫菀の花やかなれば、皇后宮(くわうごぐう)の御さまにもがな。」
四の君、
 「中宮は、父大臣常にききやうをよませつゝ、いのりがちなめれば、それにもなどか似させたまはざらむ。」
五の君、
 「四條の宮の女御、『露草のつゆにうつろふ』とかや、明暮のたまはせしこそ、誠に見えしか。」
六の君、
 「『垣穗の瞿麥(なでしこ)』は帥殿(そつどの)と聞えまし。」
七の君、
 「刈萱のなまめかしき樣にこそ、弘徽殿はおはしませ。」
八の君、
 「宣耀殿は菊と聞えさせむ。宮の御おぼえなるべきなめり。」
 「麗景殿は、花薄と見えたまふ御さまぞかし。」
九の君。
と言へば、十の君、
 「淑景舍は『朝顔の昨日の花』と歎かせ給ひしこそ、道理と見奉りしか。」
五節の君、
 「御匣殿は『野邊の秋萩』とも聞えつべかめり。」
東の御方、
 「淑景舍の御(おん)おととの三の君、あやまりたることはなけれど、大ざうにぞ似させ給へる。」
いとこの君ぞ、
 「其の御大臣の四の君は、くさのかうといさ聞えむ。」
姫君、
 「右大臣殿の中の君は、『見れども飽かぬ女郎花』のけはひこそしたまひつれ。」
西の御方、
 「帥(そつ)の宮の御うへは、さまにや似させ給ひつる。」
伯母君、
 「左大臣殿の姫君は、『吾木香(われもかう)に劣らじ』顔にぞおはします。」
などいひおはさうずれば、尼君、
 「齋院、ごえうと聞え侍らむか。渡らせ給はざむめればよ。つみを離れむとて、かゝる樣にて、久しくこそなりにけれ。」
と宣へば、北の方、
 「さて、齋宮をば、何とか定め聞え給ふ。」
と言へば、小命婦の君、
 「をかしきは皆取られ奉りぬれば、さむばれ、『軒端の山菅』に聞えむ。まことや、まろが見奉る帥の宮のうへをば、芭蕉葉(ばせをば)ときこえむ。」
よめの君、
 「中務の宮のうへをば、『まねく尾花』と聞えむ。」
など聞えおはさうずる程に、日暮れぬれば、燈籠(とうろ)に火ともさせて添ひ臥したるも、「花やかに、めでたくもおはしますものかな。」と、あはれしばしはめでたかりしことぞかし。
 世の中のうきを知らぬと思ひしにこは日に物はなげかしきかな
 命婦の君は、
 「蓮のわたりも、此の御かたちも、『この御方。』など、いづれ勝りて思ひ聞え侍らむ。にくき枝おはせかし。
 はちす葉の心廣さの思ひにはいづれと分かず露ばかりにも」
六の君、はやりかなる聲にて、
 「瞿麥を『床夏におはします。』といふこそうれしけれ。
 とこなつに思ひしげしと皆人はいふなでしこと人は知らなむ」
と宣へば、七の君したりがほにも、
 「刈萱のなまめかしさの姿にはそのなでしこも劣るとぞ聞く」
と宣へば、皆々も笑ふ。
 「まろがきくの御かたこそ、ともかくも人に言はれ給はね。
 植ゑしよりしげりしまゝに菊の花人に劣らで咲きぬべきかな」
とあれば、九の君、
 「羨しくも思すなるかな。
 秋の野の亂れて靡く花すゝき思はむかたに靡かざらめや」
十の君、
 「まろが御前こそ怪しき事にて、くらされて。」
など、いとはかなくて、
 朝顔の疾くしぼみぬる花なれば明日も咲くはと頼まるゝかな」
と宣ふにおどろかれて、五の君、
 「うち臥したれば、はや寢入りにけり。何ごとのたまへるぞ。まろは華やかなる所にし候はねば、よろづ心細くも覺ゆるかな。
 たのむ人露草ごとに見ゆめれば消えかへりつゝ歎かるゝかな」
と、寢おびれたる聲にて、また寢るを人々笑ふ。女郎花の御方、
 「いたく暑くこそあれ。」
とて、扇を使ふ。
 「『いかに。』とて參りなむ。戀しくこそおはしませ。
 みな人も飽かぬ匂ひを女郎花よそにていとゞ歎かるゝかな」
夜いたく更けぬれば、皆寢入りぬるけはひを聞きて、
 秋の野の千草の花によそへつゝなど色ごとに見るよしもがな
とうち嘯きたれば、
 「あやし。誰がいふぞ。覺えなくこそ。」
と言へば、
 「人は只今はいかゞあらむ。鵺の鳴きつるにやあらむ。忌むなるものを。」
といへば、はやりかなる聲にて、
 「をかしくも言ふかな。鵺は、いかでか斯くも嘯かむ。いかにぞや、聞き給ひつや。」
所々聞き知りてうち笑ふめり。やゝ久しくありて、物言ひやむほど、
 「思ふ人見しも聞きしも數多ありておぼめく聲はありと知らぬか」
 「このすきものたらけり。あなかま。」
とて、物も言はねば、簀子に入りぬめり。
 「あやし。いかなるぞ。一所だに『あはれ。』と宣はせよ。」
など言へば、いかにかあらむ、絶えて答へもせぬほどに、曉になりぬる空の氣色なれば、
 「まめやかに見し人とも思したらぬ御なげきどもかな。見も知らぬ、ふるめかしうもてなし給ふものかな。」
とて、
 百かさね濡れ馴れにたる袖なれど今宵やまさり濡(ひ)ぢて歸らむ
とて出づる氣色なり。「例のいかになまめかしう、やさしき氣色ならむ。いらへやせまし。」と思へど、「あぢきなし、一所に。」とぞ思ひける。
 この女たちの親、賤しからぬ人なれど、いかに思ふにか、宮仕へに出したてて、殿ばら・宮ばら・女御達の御許に、一人づゝ參らせたるなりけり。同じ兄弟(はらから)ともいはせで、他人(ことびと)の子になしつゝぞありける。この殿ばらの女御たちは、皆挑ませ給ふ御中に、同じ兄弟の別れて候ふぞ怪しきや。皆思して候ふは知らせ給はぬにやあらむ。好色(すきもの)ばらの、御有樣ども聞き、「嬉し。」と思ひ至らぬ處なければ、此の人どもも知らぬにしもあらず。
 かの女郎花の御方と言ひし人は、聲ばかりを聞きし、志深く思ひし人なり。
 瞿麥の御人といひし人は、睦しくもありしを、いかなるにか、
 「『見つ。』ともいふな。」
など誓はせて、又も見ずなりにし。
 刈萱の御人は、いみじく氣色だちて、物言ふ答へをのみして、辛うじてとらへつべき折は、いみじく賺(すか)し謀る折のみあれば、「いみじくねぶたし。」と思ふなりけり。
 菊の御人は、言ひなどはせしかど、殊に眞帆にはあらで、
 「誰、そまやまを。」
とばかり仄かに言ひて、膝行(ゐざり)いりしけはひなむいみじかりし。
 花薄の人は、思ふ人も又ありしかば、いみじくつゝみて、唯夢の樣なりし宿世(すぐせ)の程もあはれに覺ゆ。
 蓮の御人は、いみじくしたのめて、
 「さらば。」
と契りしに、騷しきことのありしかば、引き放ちて入りにしを、「いみじ。」と思ひながら許してき。
 紫菀の御人は、いみじく語らひて、今にむつましかるべし。
 朝顔の人は、若うにほひやかに愛敬づきて、常に遊び敵にてはあれど、名殘なくこそ。
 桔梗(ききやう)は常に恨むれば、
 「さわがぬ水ぞ。」
と言ひたりしかば、
 「澄まぬに見ゆる。」
と言ひし、にくからず。
 何れも知らぬは少くぞありける。其の中にも、女郎花のいみじくをかしく、ほのかなりし末ぞ、今に、「いかで唯よそにて語らはむ。」と思ふに、「心憎く。今一度ゆかしき香を、いかならむ。」と思ふも、定めたる心なくぞありくなる。至らぬ里人などは、いともて離れて言ふ人をば、いとをかしく言ひ語らひ、兄弟といひ、いみじくて語らへば、暫しこそあれ。顔容貌のみに、などかくはある。物言ひたるありさまなども。この人には、かゝる、いとなかり。宮仕へ人、さならぬ人の女なども謀らるゝあり。
 内裏にも參らず徒然なるに、かの聞きし事をぞ、「その女御の宮とて、のどかには。かの君こそ容貌をかしかなれ。」など、心に思ふこと・歌など書きつゝ、手習にしたりけるを、又人の取りに書きうつしたれば、怪しくもあるかな。これら作りたる樣も覺えず、よしなき物のさまを、虚言にもあらず。世の中に虚(そら)物語多かれば、實としもや思はざらむ。これ思ふこそ妬けれ。多くはかたち・しつらひなども、この人の言ひ、心がけたるなめり。誰ならむ、この人を知らばや。殿上には、只今これをぞ、「怪しく、をかし。」と言はれ給ふなる。かの女たちは、此處にはしそくおほくして、かく一人づゝ參りつゝ、心々に任せて逢ひて、斯くをかしく殿の事言ひ出でたるこそをかしけれ。それもこのわたりいと近くぞあなるも、知り給へる人あらば、「その人。」と書きつけ給ふべし。