春の物とて詠めさせ給ふ晝つ方、臺盤所なる人々、
「宰相中將こそ參り給ふなれ。例の御にほひ、いと著(しる)く。」
などいふ程に、突居(ついゐ)給ひて、
「よべより殿に候ひし程に、やがて御使になむ。東の對の紅梅の下に埋(うづ)ませ給ひし薫物、今日の徒然に、試みさせ給ふとてなむ。」
とて、えならぬ枝に、白銀の壺二つ附け給へり。
中納言の君の、御帳の内に參らせ給ひて、御(おん)火取數多して、若き人々、やがて試みさせ給ひて、少しさし覗かせ給ひて、御帳の側(そば)の御座に傍臥(かたはらふ)させ給へり。紅梅の織物の御衣に、たゝなはりたる御髪の裾ばかり見えたるに、これかれそこはかとなき物語、忍びやかにして暫し居給ふ。中將の君、この御火取の序にあはれと思ひて、
「人の語りし事こそ、思ひ出でられ侍れ。」
と宣へば、大人だつ宰相の君、
「何事にか侍らむ。徒然に思しめされて侍るに、申させ給へ。」
とそゝのかせば、
「さらば、つい給はむとすや。」
とて、
「ある君達に、忍びて通ふ人やありけむ、いと美しき兒さへ出で來にければ、あはれとは思ひ聞えながら、嚴しき片つ方やありけむ、絶間がちにてある程に、思ひも忘れず、いみじう慕ふがうつくしうて、時々はある所に渡しなどするをも、『今。』なども言はでありしを、程經て立ち寄りたりしかば、いと寂しげにて、珍しくや思ひけむ、かき撫でつゝ見居たりしを、え立ち留らぬ事ありて出づるを、ならひにければ、例のいたう慕ふがあはれに覺えて、暫時(しばし)立ちとまりて、『さらば、いざよ。』とて、掻き抱きて出でけるを、いと心苦しげに見送りて、前なる火取を手まさぐりにして、
子だにかくあくがれ出でば薫物のひとりやいとゞ思ひこがれむ
と忍びやかに言ふを、屏風の後にて聞きて、いみじう哀れに覺えければ、兒を返して、その儘になむ居られにし、と。『如何ばかり哀れと思ふらむ。』と、
『おぼろげならじ。』
と言ひしかど、誰とも言はで、いみじく笑ひ紛はしてこそ止みにしか。」
「いづら、今は、中納言の君。」
とのたまへば、
「あいなき事の序をも聞えさせてけるかな。あはれ、只今の事は、聞えさせ侍りなむかし。」
とて、
「去年の秋ごろばかりに、清水に籠りて侍りしに、傍に屏風ばかりをはかなげに立てたる局の、にほひいとをかしう、人少ななるけはひして、折々うち泣くけはひなどしつゝ行ふを、『誰ならむ。』と聞き侍りしに、明日出でなむとての夕つ方、風いと荒らかに吹きて、木の葉ほろ〳〵と、谷のかたざまに崩れ、色濃き紅葉など、局の前には隙なく散り敷きたるを、この中隔ての屏風のつらに寄りて、こゝにはながめ侍りしかば、いみじうしのびやかに、
厭ふ身はつれなきものを憂きことを嵐に散れる木の葉なりけり
『風の前なる』と聞ゆべき程にもなく、聞きつけて侍りしほどの、まことにいと哀れにおぼえ侍りながら、さすがにふと答(いら)へにくく、つゝましくてこそ止み侍りしか。」
と言へば、
「『いとさしも過し給はざりけむ。』とこそ覺ゆれ。さても實ならば、口惜しきは御物つゝみなりや。いづら、少將の君。」
と宣へば、
「賢しう、物もきこえざりつるを。」
と言ひながら、
「伯母なる人の、東山(ひんがしやま)わたりに行ひて侍(はんべ)りしに、暫し慕ひて侍りしかば、主人(あるじ)の尼君の方に、いたう口惜しからぬ人々の、けはひ數多し侍りしを、『紛はして、人に忍ぶにや。』と見え侍りし、物隔てのけはひいと氣高う、凡人(たゞびと)とは覺え侍らざりしに、ゆかしうて、物はかなき障子(さうじ)の紙のあなたへ出でて、覗き侍りしかば、簾に几帳そへて、清げなる法師二三人ばかり、すべていみじくをかしげなりし人、几帳のつらに添ひ臥して、この居たる法師近く喚びて物言ふ。『何事ならむ。』と聞き分くべき程にもあらねど、『「尼にならむ。」と語らふ氣色にや。』と見ゆるに、法師やすらふ氣色なれど、なほ〳〵切に言ふめれば、『さらば。』とて、几帳の綻びより、櫛の笥(はこ)の蓋に、長(たけ)に一尺ばかり餘りたるにやと見ゆる、髪のすぢ、すそつきいみじう美しきを、わげ入れて押し出す。傍に今少し若やかなる人の、十四五ばかりにやとぞ見ゆる、髪たけに四五寸ばかり餘りて見ゆる、薄色のこまやかなる一襲、掻練などひき重ねて、顔に袖をおしあてて、いみじうなく。『弟(おとゝ)なるべし。』とぞ推し量られ侍りし。又若き人々二三人ばかり、薄色の裳ひきかけつゝ居たるも、いみじう堰きあへぬ氣色なり。『乳母だつ人などはなきにや。』と、あはれに覺え侍りて、扇のつまにいと小さく、
おぼつかなうき世そむくは誰とだに知らずながらも濡るゝ袖かな
と書きて、幼き人の侍ひして遣りて侍りしかば、この弟にやと見えつる人ぞ書くめる。さて取らせたれば持て來たり。書き樣ゆゑ〳〵しう、をかしかりしを見しにこそ、くやしうなりて、」
など言ふほどに、うへ渡らせ給ふ御氣色なれば、紛れて少將の君も隱れにけりとぞ。